歴史

看護婦教育所記念碑 看護婦教育所創設之地記念碑

時代を超えて、常に人間の心を見つめ、看護の精神を伝える

慈恵看護専門学校は、明治18年(1885)、その前身有志共立東京病院看護婦教育所が、日本最初の看護師教育機関として設立されたのを始まりとしています。

創始者の高木兼寛は、英国セントトーマス病院医学校で医学を学びました。そして明治14年(1881)、東京慈恵会医科大学の前身成医会講習所を創設するとともに有志共立東京病院を設立、その後、明治18年(1885)に、看護婦教育所を開設しました。高木の心にあったのは、留学先のセントトーマス病院のナイチンゲール看護婦学校での先進的な教育でした。それを範として、指導者に米国看護師ミスM・E・リードを招き本格的な看護師教育を始めました。設立以来、慈恵看護専門学校は、常に看護の真の心をもつ学生を育てて今日に至ります。

当時の看護婦教育所 看護婦教育所建物(明治19年1月20日)
看護婦教育所 指導者:M.E.リード 看護婦教育所 指導者:M.E.リード
初代看護婦教育所 所長:高木 兼寛 初代看護婦教育所 所長:高木 兼寛