対談教授vs学生学生が聞く! 研究者のホンネ 対談教授vs学生学生が聞く! 研究者のホンネ
吉田

私立大学研究ブランディング事業「働く人の疲労とストレスに対するレジリエンスを強化するEvidence-based Methodsの開発」は、「病気を診ずして 病人を診よ」という建学の精神をブランド化するものとして位置付けられています。今回ご紹介するのは、脳動脈瘤を治療するマトリックスコイルを開発して日本にカテーテル手術を広めた脳神経外科主任教授の村山雄一さんです。救命のための緊急対応アプリや医療従事者の情報共有スマホアプリを開発して活用するなど、専門外の分野でもアグレッシブな活動に取り組んでいます。

革新的な治療方法に
対して弱点を見つけて
チャンスを得た

教授×学生 対談

吉田

―先生はカテーテル手術の第一人者として世界的に有名ですが、脳血管内治療の道に進むことになったきっかけは何だったのでしょうか。

村山

いろいろな診療科を回る中で人の神経に興味を持ち、1991年に助手として脳神経外科学教室に入りました。当時の脳神経外科はくも膜下出血の患者さんが来ると大変で、2週間泊まりがけで治療をするのが当たり前という状況でした。
こういう生活は医師にとっても大変ですが、患者さんには当然大きな負担になります。「もっと患者さんへの負担の少ない治療はないものだろうか」と考えていた時に、カテーテルの話を聞きました。開頭手術をしないカテーテルによる治療は私にとって新鮮でした。

当時、カテーテルの第一人者だったのが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、UCLAのフェルナンド・ビヌエラ先生でした。その先生が来日して仙台で講演されると聞いて「是非参加したい」と当時の主任教授の阿部俊昭先生に話したところ「紹介してあげるよ」と言われたんです。
偶然にも阿部先生とフェルナンド先生は海外で一緒に働いていた元同僚でした。阿部先生は私にフェルナンド先生を紹介するためだけに仙台まで来てくれて、講演会の後の懇親会でフェルナンド先生にご紹介いただき、私は1年間の予定で留学できることになりました。1994年の末のことです。

吉田

―そこからカテーテルの世界に踏み込んだのですね。

村山

見学しながら無給で働くという形でUCLAに行ったのですが、当時のUCLAには始まったばかりのカテーテル手術を見学するために世界中から多くの医師が来ていました。手ぶらで帰りたくないと考えた私は「血管の中にプラチナコイルを埋め込むとはすごい」と思いながらも「何か弱点があるはず」と考えました。
そこで思いついたのが「再発の可能性がある」ということでした。その話を医局の先輩に話したところ教えてくれたのが、理化学研究所のイオンビームという技術でした。

教授×学生 対談

高エネルギーのビームを金属に当てることで、タンパク質を固定化するコーティングの技術です。
私はそれをネタとして持ってUCLAに向かったのです。ところがフェルナンド先生にその話をしたいと思っても中々チャンスに恵まれません。
ミーティングはいつもキャンセルです。でも諦めずに粘って何とか5分間だけ時間をもらうことができました。話を聞いたフェルナンド先生は「面白い。実験してみなさい」と言ってくれたのです。
それからは一所懸命実験に取り組みました。実験が上手くいくようになって、留学期間がもう一年延長され、2年目からは給料ももらえるようになりました。3年目になって実用化の目処が立ってきたのですが、その時私はまだ脳神経外科専門医の資格を持っていませんでした。急に留学が決まったので、専門医試験を受ける前に留学してしまっていたのです。

教授×学生 対談

吉田

―チャンスを逃さないために、留学を決断したんですね。

村山

そうなんです。改めて専門医の資格を取ろうと「臨床を積むために日本に帰ります」とフェルナンド先生に伝えたところ「こちらで臨床を経験して、それから専門医資格を取れば良い」と言ってくれたのです。俄には信じられないような話でした。
しかし、「阿部先生が許してくれないでしょう」と言ったら、フェルナンド先生は阿部先生を説得するために東京を訪問してくれたのです。阿部先生も「アメリカでもっと経験を積むのも良いのでは」と賛同してくれました。こうして米国で研究だけでなく臨床に参加できるようになったのです。その後米国医師国家試験に合格し正式にスタッフになりました。

当時、UCLAが開発した革新的な治療方法であるカテーテルを、使ったこともない私が弱点があると指摘したことから、チャンスを得ることができました。イノベーションとは課題を解決しようとすることで生まれるものです。上手く行かないことがあっても諦めなければ乗り越えられます。
私の開発したマトリックスコイルは、2001年にアメリカ食品医薬品局、FDAの承認を得ることができ、その翌年末に私は7年の留学から日本に帰国し、再び慈恵に戻ってきました。その後は日本とアメリカを行ったり来たりして研究と臨床に取り組み、2013年には主任教授になりました。

イノベーションとは課題を解決しようとすることで生まれるものです。

村山雄一教授
村山雄一教授

イノベーションとは課題を解決しようとすることで生まれるものです。

自分には関係ないと
思わずに課題解決に
向けた行動をとる

教授×学生 対談

吉田

―慈恵に戻られた後に、様々な脳血管障害の治療に対応できるハイブリッド手術室を提案されたそうですね。脳外科と放射線科の壁を取り払って、テクノロジーと医学を融合させた取り組みとして高く評価されています。こうしたアイデアはどこから生まれるのでしょうか。

村山

「自分には関係ない」と扉を閉ざすことなく、いつもアンテナを高く張っています。課題解決のアイデアは、関係ないことのシナジーから生まれてきたりします。大事なのは、関係ない、無理だと思わずに具体的に行動することです。

東京大会2020の時には、来日してPCRを受けた外国人を管理したり、帰国時の陰性証明証を発行するのに、我々が開発に携わった緊急対応用の「My SOS」というアプリを使うことを提案しました。
このアプリを使えば病院でやっている新型コロナ感染症対策と同じ対応をホテルでも実践できるようになります。
私は脳外科医で感染症の専門家ではありません。でも関係ないと思わずに自分ができることはないだろうかと考えて行動したわけです。自分でリミットをかけずにやれることをやる、ということを常に心掛けています。その結果、色々なことができてきました。
その一つが2020年9月に立ち上げた慈恵で初めての大学発ベンチャー企業である「スパインテック」です。カーボンを使って脊椎を固定する機器を開発する企業で、大学も出資して登記しました。

教授×学生 対談

マトリックスコイルはアメリカの企業と組んで製品化したのですが、アイデアを世の中に送り出すためには、良いパートナーを見つけることが大切です。そのためにベンチャー企業立ち上げという形態をとることにしました。

吉田

良いパートナーを見つけることの重要性はいつも話されていますね。

教授×学生 対談

村山

今は大学も自立して経営するように言われている時代です。学生でも特許をとって起業しても構わないのではないでしょうか。
そうした取り組みをするのには、慈恵は大きな強みを持っています。
国の中枢機関が集まる霞ヶ関にどの大学よりも近いのです。これは東大にも京大にもない立地条件です。厚生労働省までは徒歩15分。すぐに相談に行けますし、気軽に見にきてもらうこともできます。
「JOIN」という医療従事者がスマホで情報を共有できるコミュニケーションアプリを開発した時にも、連絡したら厚生労働省の方がすぐ来てくれました。このJOINは単体の医療用スマホソフトウェアとして保険適用第一号の認定を受けています。

大学や病院という大きな組織には常に課題が存在します。問題意識を持つことができれば、課題解決につながる革新的なアイデアが浮かんでくるでしょう。そのアイデアを形にするには慈恵の立地条件は大きな強みになります。国だけでなく企業との共創もやり易い。それを最大限に活かすべきです。

根拠のない自信を
持って大きく出る杭に
なって欲しい

吉田

―大学病院では手術件数を増やそうとする面がありますが、先生はオペが不要な人にはしないようにしていると伺っています。それはなぜなのでしょうか。

村山

自分が患者さんだったらと考えればすぐに答えが出るはずです。
脳動脈瘤は破裂するとくも膜下出血になる深刻な病気です。破れたら死につながると聞いた患者さんはパニックになります。
でもそれが破裂する確率が低いとわかれば安心します。手術を勧める前に、まず患者さんを安心させることが大事なのです。そのために今取り組んでいるのが、破裂する確率をAIで解析することです。

教授×学生 対談

アメリカやオランダの大学とパートナーシップを組んで、慈恵の7000件を含めて日米欧の1万件以上の治療データを集め、流体解析を使って精度を高めています。AIによる解析の結果、脳動脈瘤が破裂するリスクが低いことがわかった場合には、手術を受けなくて良いという選択肢を患者さんに提示することができます。医療では患者が最善の選択ができるように選択肢を示してあげることが必要です。患者さん目線で考えれば当然行き着く答えです。

教授×学生 対談

吉田

―研究者としてはどんな理想像をお持ちなのでしょうか。

村山

これからの時代は研究はしたいけど、プライベートも充実させたいと考えるのが当然です。人生は色々なタームがありますし、良いところ取りができるようにしていきたいですね。そのためには短期間集中して成果を上げることです。
教える側はプロが短期間集中して取り組めば、ある程度身につくようにプログラムを考えるべきです。脳神経外科医の世界でも同じです。カテーテル手術は1-2年程のトレーニングである程度安全にできるようになることをゴールにしています。

医療では患者が最善の選択ができるように選択肢を示してあげることが必要です。

村山雄一教授
村山雄一教授

医療では患者が最善の選択ができるように選択肢を示してあげることが必要です。

吉田

―学生にはどんなことを求めたいですか。

村山

「根拠のない自信を持て」と言いたいですね。医師になっていなくても「自分にはできる」という信念を持っていた方が良い結果につながると思います。阿部先生から「ちょっとだけ出ている杭は打たれ易い。打ったら跳ね返ってくると思われるくらい出てしまいなさい」と言われたことを覚えています。
成功するためのベースとなる能力を持っていても課題を考える癖をつけておかないと、普通の人になってしまいます。そうならないためには、常にアンテナを広げて課題を考え、「自分にはできる」と自信を持つことが必要です。

教授×学生 対談

ポジティブ思考でいれば道は必ず開けます。諦めないでどうしたら良いところどりができるか考えてください。そのためにはチャンスをくれる環境を選ぶことです。大谷翔平選手が二刀流に挑戦できたのもそういう環境を選択したからです。大事なのは、諦めないことと、「やってみたい」と意思表示をすることです。
慈恵は良くも悪くも放任主義です。患者さん第一という考え方が浸透しているので、上下に関係なく意見が言えますし、若い人でもリスペクトしてくれて、チャンスを与えてくれます。「やってみたい」と言えば、「やってみたら」と言ってもらえます。その環境を良いと考える人に来てもらいたいですね。

教授×学生 対談

対談者プロフィール

村山雄一教授

東京慈恵会医科大学
脳神経外科学講座 主任教授
村山雄一(むらやま ゆういち)

慈恵医大を卒業後、脳外科へ入局、UCLA神経放射線科へ留学。脳血管内治療で用いる画期的なコイルの開発を行う。カリフォルニア州の臨床ライセンスを取得、研究と臨床を両立する。
UCLA准教授、教授を経て、2003年慈恵医大脳外科へ帰局、同年より脳血管内治療部診療部長。2013年より脳神経外科学講座主任教授。診療の傍ら、医療機器開発や学内発ベンチャーの立ち上げに携わる。

吉田

医学科6年生
吉田碧(よしだ みどり)

渋谷教育学園幕張高等学校卒業。
1年間の浪人生活を経て慈恵医大に入学。
臨床実習にて医学を学ぶ傍ら、少しでも慈恵の良さを学外の方に広めたいという思いから大学広報委員会として活動中。
軽音楽部と硬式庭球部に所属し、軽音楽部ではキャプテンを務めた。座右の銘は「たゆたえども沈まず」。