対談教授vs学生学生が聞く! 研究者のホンネ 対談教授vs学生学生が聞く! 研究者のホンネ
直井

私立大学研究ブランディング事業「働く人の疲労とストレスに対するレジリエンスを強化するEvidence-based Methodsの開発」は、「病気を診ずして 病人を診よ」という建学の精神をブランド化するものとして位置付けられています。今回ご紹介するのは、難しいと言われる神経学(脳神経内科・neurology)の領域で臨床研究を続ける内科学講座脳神経内科教授の井口保之さんです。どんなことから研究者になり、どんなところにやり甲斐を感じているのか話を聞きました。

学生時代に触れた
研究の面白さと難しさ

直井

-何をきっかけに医学の道を進むようになったのでしょうか。

井口

そもそも医師になろうという気持ちは強くありませんでした。音楽や歴史に関心が高く、今でも人生をやり直せるなら日本近代史の研究者か為替のトレーダーになりたいと思っています。父、祖父はともに一般医家で、月月火水木金金と24時間365日働いている姿を間近にみて「自分にはできない」と尻込みしていた時期もありました。一方で「これほど大変な仕事はないだろうが、なんとか自分にもできるかもしれない」と感得し、慈恵に拾っていただきました。“笑わん殿下”だった祖父は「慈恵は良い臨床医を育てる大学」と破顔し、父からは孝行息子だと言われましたね。

教授×学生 対談
教授×学生 対談

直井

-研究を意識するようになったのは入学してからですか。

井口

学生時代にはどの分野を専門にしようという意識はありませんでした。研究ついては特に、細菌学の大野典也教授やME研究室の古幡博教授から大きな影響を受けました。
4年時、抗原抗体反応に関する大野先生の講義を聴講しました。「本当にロケット発射現象が体内で起こるのでしょうか」と質問したところ「研究室に来て確認してみれば」と提案いただき学生班の末席に加わりました。電気泳動で正常対象と私の血清のバンドが重なったときに、大野先生の講義の意味が理解できました。
大野先生のモットーは「研究室は遊び場でよし」。

多彩なメンバーが出入りを繰り返し、楽しい時間を過ごしました。岡野James洋尚教授(再生医学)は院生、岡部正隆教授(解剖学)、吉田清嗣教授(生化学)は学生班で共に遊びました。中村真理子教授(教育センター長)は私たちのお世話係であるメンターで、真夜中におにかけ(新橋烏森・2023年春に閉店)で辛い大根おろし入りのおろしうどんを何度もご馳走してくださいました。

井口

ME研究室では4年時に夏休みを挟んで約半年間、授業の一環として「頭蓋表面から脳内に超音波を照射し脳血流を計測する」「超音波は骨を通過しない、という定説を覆す」刺激的な研究に参加しました。ボランティアを集めて詳しい説明なし、同意書なしで「脳血管の流速を測定させてください」と頼んで実験を重ねました。同級生が京都の国際会議場大ホールで行われた日本超音波医学会で研究成果を発表し、その姿は眩しく感動しました。発表内容は日本脳神経超音波学会雑誌に原著論文として掲載されました。
時を経て私は医師になり、古幡先生と指導教官だった井上聖啓教授の許しを得てテキサス大学に留学しました。急性期脳卒中診療における脳神経超音波検査の利活用を目の当たりにして、帰国後は神経超音波の臨床応用に注力し、2022年から私は日本脳神経超音波学会の理事長を拝命しています。運命を感じます。

教授×学生 対談

古幡先生は夜遅くに新橋や銀座の鰻の寝所のような小料理屋に連れて行ってくださいました。女将とも仲が良くて格好良かったですね。よく「先生、飲み過ぎですよ」と言われていました。学生との対酌がよほど嬉しかったのでしょうね。

そもそも医師になろうという気持ちは強くありませんでした。

井口保之教授

難病に向き合うからこそ
得られる喜びと
やり甲斐がある

教授×学生 対談

直井

-大学を卒業してからすぐにneurologyに進まれたのでしょうか。

井口

卒業する頃には放射線科か救急診療部に進もうと考えていました。放射線科の若手の医師が他の診療科の教授以下多数の医師の前に立ちレントゲンフィルムを投影するschaukastenのライトをつけた瞬間からまさにオンステージで、オーケストラの指揮者のようでした。「これはmyosarcoma」と決断する力強さに惹かれました。臨床実習で不足を感じていた救急診療は、6年時夏休みを利用し杏林大学病院で三次救急医療を体験し、救命現場の決断、チーム医療に魅力を感じました。

ただ、情けないことに卒業試験中の12月まで進路先を決断できず、学事課から「井口君だけですよ、進路未定は」と督促され、若い時しかできない選択肢は救急診療だと考えて、初期研修先に杏林大学病院救命救急センターを選びました。

直井

救急での体験は今に生かされているのでしょうか。

直井

救急での体験は今に生かされているのでしょうか。

井口

救急の使命は目の前の患者さんの命を救うこと。これは全ての医療の基本です。後期研修先、附属柏病院で総合内科教授であられた恩師の渡邊禮次郎先生から「救急診療を研修したのだから、急性期の脳卒中を学んでは」と勧められてneurology、なかでも脳卒中を専攻することになりました。医師・研究者としての方向性は、この時点でほぼ決まったと言えます。

教授×学生 対談
教授×学生 対談

直井

-Neurologyは難しいという印象がありますが。

井口

かつて精神・神経疾患は「形が見えなく、病理病態がわからないもの」いわゆる形而的でした。知見が蓄積され、neurologyが対象とする神経疾患は明白な原因・病態が存在することが明らかになりつつあります。
病態が存在するということは、治療できる余地があるのです。私達は患者さんの訴えである病態に向き合い、その訴えを開放すること、即ち治療することを目指します。医師卒前教育の大部分を占める択一式の問いではなく、治療できる可能性について、患者さんの訴えから自ら問いを作り解決することを繰り返すのです。

井口

長い経過をたどる一部の神経疾患は、診察と検査、鑑別診断を挙げた後にまた診察にもどり最終診断、ようやく治療方針が決定します。省略することができない臨床推論の逡巡です。それを難しい、面倒と思うことが不思議です。わからないことを学び、知ることに喜びを感じてほしいですね。もう一つは難病を対象とする点です。厚生労働省の指定難病、338疾患のうち40%が脳神経と筋疾患です。希少疾患と向き合うことがneurologyを目指そうという皆さんへのハードルを高めているのかも知れません。難しいと考えるか、生きがいと考えるかは、医師の姿勢の問題です。

教授×学生 対談

さらに、医学教育は「解剖、生理、病理、臨床」という百科事典索引的体系です。患者さんには訴えがあります。訴えを最初に聴き、なぜその訴えが起こるのかを病理・解剖・生理を学び、臨床での対応を識る。生涯教育の一貫としてリベラルアーツは6年間継続して学びます。医学部1年生から患者さんの訴えに向き合う教育を目指せば「訴えを開放する」という私たち脳神経領域へのハードルは下がると思います。

わからないことを学び、知ることに喜びを感じてほしいですね。

井口保之教授

人間にとって重要な
神経学で何でもない
日常生活を支えたい

教授×学生 対談

直井

-研究の道に進もうとお考えになったきっかけは何だったのでしょうか。

井口

初期研修、後期研修の途中までは研究の道に進もうとは全く考えていませんでした。
臨床医にとって大事なのは、腕とハートと決めつけていました。その意識が変わったのは、医師4年目、渡邊先生が推薦くださった国立循環器病センターへの留学です。その時の指導医 木村和美先生(現日本医科大学教授)との出会いが、自分の考えや行動を変えるきっかけになりました。

当時は「脳卒中は発症したら寝かせておくだけ」の時代から「脳卒中の予後は超急性期治療で劇的に改善する」という時代に変わりつつありました。木村先生は全く新しい超急性期脳卒中診療の開発、全国ナンバーワンの脳卒中センターの立ち上げを目指しました。私は医師11年目にそのプロジェクトに参加しました。それから20年が経ち、教室から全国の医科大学に教授3名、基幹病院の診療部長5名を含む多くの医師が巣立ちました。川崎医科大学の理念は「人間(ひと)をつくる」、木村先生は間違いなく人を育てたのです。

直井

-先生の研究領域の意義はどのようなところにあるとお考えでしょうか。

井口

私の専門領域は内科学、特にneurologyです。Neurologyは人間にとって大変に重要です。神経疾患に罹患しているということだけで、生活は著しく制限されます。本来ある生活の営みを送ることができるように神経疾患に向き合い、疾患とともに歩み、疾患を克服することが必要です。

教授×学生 対談
教授×学生 対談

井口

Neurologyがカバーする病態、疾患は無数です。私の専攻は国民病である脳卒中です。人口10万人あたり年間160名から200名が脳卒中を発症し、主要死因の第4位、寝たきり原因疾患の第1位です。脳卒中の発症を予防し、万が一発症した場合には完全回復を、叶わなければ最小限の後遺症で済むように治療する。つまり脳卒中を制圧するために研究に取り組んでいます。脳卒中が制圧されれば、医療費削減、国民の福利厚生は劇的に向上すると確信しています。

直井

-研究に当たって特に意識しているのはどういうことでしょうか。

井口

創意工夫、ネットワーク構築、アウトカムを見据えることです。今後の課題は、脳小血管病です。マクロからミクロ・ナノの血管病変への対策です。病態の解明と未病に向けて、再生医療と連携した急性期から亜急性期の細胞治療の確立、画期的なリハビリテーション技術の開発、臨床研究による予後関連因子の抽出が重要です。同僚は多くの知見を発表しています。展開を楽しみにしています。

教授×学生 対談
直井

最後にどうすれば自分の進むべき道が見えてくるのかアドバイスをお願いします。

井口

良き医師でありつづけること、そして自分を育ててくれる指導医に巡り会うことです。ぜひ、人を育てる指導医を目指してください。自己実現、互助、社会貢献を忘れないこと。これは私の進む道です。皆さんの未来を信じています。

教授×学生 対談

対談者プロフィール

井口和善教授

内科学講座 脳神経内科 教授
井口 保之(いぐち やすゆき)

1987年慈恵医大入学、在学中は硬式テニス部に所属。1993年本学卒業後、杏林大学病院救命救急センターで初期研修。1995年附属柏病院総合内科に入局。国立循環器病研究センター内科脳血管部門、米国 テキサス大学へ留学、急性期脳卒中診療における脳神経超音波検査の利活用に衝撃を受ける。帰国後は脳神経超音波の臨床応用に注力し、2007年川崎医科大学脳卒中医学准教授を経て2012年より現職。「遊ぶように学ぶ」「臨床に誠意、研究に創意、教育に熱意」をモットーとしている。

直井

医学科6年
直井春海(なおい はるみ)

桐光学園高校卒業。早稲田大学在学中、叔父が大病に罹患したことをきっかけに医学を志す。脳神経内科を実習した際、臨床研究という視点から医療を捉える面白さを知り、現在成果の論文化を進めている。硬式テニス部に所属し、女子主将を務めた。最近の趣味はピアノを弾くこと。