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理念・沿革


「病気を診(み)ずして病人を診(み)よ」


〜歴史的背景にたった理念〜

東京慈恵会医科大学は、睫攘鶸欧砲茲衞声14年(1881)5月1日に創立された成医会講習所をその起源としています。
当時は、ドイツ医学を範とした研究至上主義が主流でしたが、睫攘鶸欧魯ぅリス医学である「病者を病に悩む人間とみる医風」へと転換すべきだと主張し、明治15年、有志共立東京病院なる慈善病院を発足させました。
また、「医師と看護婦(師)は車の両輪の如(ごと)し」との信念に基づき、わが国最初の看護婦教育所を明治18年に設立し、建学の精神に則った全人的医療を開始しました。
この思想は100有余年の歴史の中で色あせることなく基本的精神として受け継がれ、現在もなお教職員の中に浸透しています。
「病気を診ずして病人を診よ」という理念は、これからの歴史的背景を簡潔かつ明瞭に表現されたものであり、教職員、同窓はもとよりさまざまな広報を通じて、広く社会にも知られています。
私たちは、この理念のもとに高い倫理観を持ち、つねに患者さんの立場を尊重しながら「病者を病に悩む人間とみる医風」を検証し続けてまいります。


病院の理念


「病気を診ずして病人を診よ」の教えに基づき、質の高い医療を実践し、医療人を育成することにより、社会に貢献し、患者さんや家族から信頼される病院を目指す。


病院の基本方針


1) 患者さんや家族が満足する良質な医療を実践する。
2) 先進医療の開発・導入など、日々、医療水準の向上に努める。
3) 優れた技能を身につけ、豊かな人間性と倫理観を兼ね備えた医療人を育成する。
4) 地域社会と連携し、きめ細やかな医療サービスを提供する。
5) 全職員が誇りを持って働ける職場作りを実践する。

看護部の理念


看護とはF.ナイチンゲールがいう「生命力の消耗を最小にするよう生活過程を整えること」と捉え、患者さんをひとりの人間として尊重し、相手の立場にたった患者さん主体の看護を提供します。
私達は、専門職としてより質の高い看護を目指して自己研鑽に努め、医療・看護の発展に貢献します。


患者さんの権利


医療は患者さんと医療提供者との信頼関係で成り立っております。当医療センターでは、全ての患者さんに次の権利があるものと考え、これらを尊重した医療を行います。

良質な医療を公平に受ける権利があります。
一人一人の人格や価値観などが尊重された医療を受ける権利があります。
ご自分の希望や意見を述べる権利があるとともに、希望しない医療を拒否する権利があります。
理解しやすい言葉や方法で、納得できるまで十分な説明と情報提供を受ける権利があります。
十分な説明と情報提供を受けたうえで、治療方法などを自らの意思で選択する権利があります。
診療の過程で得られた個人情報の秘密が守られる権利があります。

沿 革


明治15年(1882)8月 高木兼寛の主唱により救療のための病院として賛同者の協力により有志共立東京病院開院
明治17年(1884)10月 米人ミス・リードを招へいし看護婦の教育にあたらせる
明治18年(1885)4月 有志共立東京病院に看護婦教育所を付設
明治20年(1887)4月 皇后陛下を総裁に迎え「慈恵」の名を賜り有志共立東京病院を東京慈恵医院に改称
明治24年(1891)2月 高木兼寛 個人経営の東京病院開設
明治37年(1904)7月 東京慈恵医院において産婆の養成を開始
明治40年(1907)7月 社団法人東京慈恵会設立、東京慈恵医院を東京慈恵会医院と改称
同医院に附属医学専門学校及び附属看護婦教育所を置く
大正9年(1920)4月 高木兼寛逝去(16日葬儀)
大正11年(1922)2月 高木喜寛、東京病院を本学に提供、本学附属病院となる。院長 高木喜寛
大正12年(1923)9月 関東大震災、大学校舎、附属東京病院、東京慈恵会医院等焼失
昭和5年(1930)12月 東京慈恵会医院の診療行為一切が東京慈恵会医科大学に委託される
昭和18年(1943) 東京慈恵会医科大学附属中川堤療養所開設。所長 林 直敬
昭和20年(1945)5月 東京空襲により大学及び附属病院災禍をうける
昭和21年(1946)7月

中川堤療養所を総合病院として東京慈恵会医科大学附属東京病院分院青砥病院と改称

院長 古閑義之
昭和22年(1947)4月 東京慈恵会医院の経営、管理の一切を大学が担当することになり、東京慈恵会医科大学附属東京病院南病棟(従来の東京病院は北病棟)と改称
昭和25年(1950)11月 第三病院開院。院長 加藤義夫
昭和27年(1952)1月 第三病院を東京慈恵会医科大学附属東京病院分院第三病院と改称
昭和37年(1962)10月 附属病院本館A棟竣工。附属病院の名称を東京慈恵会医科大学附属病院、通称慈恵大学病院と改称。

これに併せ第三病院の名称も東京慈恵会医科大学附属病院第三分院に改める。

東京慈恵会医科大学の歴史の上で忘れることの出来ない東京病院の名称がなくなるため、その由緒を刻んだ「東京病院発祥の地」の碑を附属病院玄関脇に建立した。
昭和38年(1963)8月 附属病院本館B棟竣工
昭和38年(1963)12月 青砥病院は鉄筋4階建の新病棟完成を機会に東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院と改称
昭和42年(1967)11月 附属病院本館C棟竣工
昭和49年(1974)11月 青戸病院別館竣工
昭和56年(1981)9月 第三病院中央棟竣工
昭和57年(1982)2月 第三病院附属B棟(法医棟)竣工
昭和59年(1984)11月 第三病院附属C棟(森田療法棟)竣工
昭和60年(1985)7月 附属病院本館E棟竣工
昭和60年(1985)7月 青戸病院第2別館竣工
昭和60年(1985)8月 附属病院健康医学センター(相談部・スポーツ外来部)開設
昭和61年(1986)4月 青戸分院、第三分院の名称を青戸病院、第三病院に変更
昭和61年(1986)4月 第三病院附属D棟(中材棟)竣工
昭和62年(1987)4月 柏病院開設
平成2年(1990)5月 柏病院C棟竣工
平成5年(1993)3月 柏病院医学研究棟竣工
平成6年(1994)2月 附属病院が特定機能病院として承認
平成12年(2000)5月 附属病院中央棟竣工
平成13年(2001)10月 附属病院E棟リニューアル工事竣工
平成14年(2002)4月 晴海トリトンクリニック開設
平成16年(2004)3月 第三病院附属E棟(手術棟)竣工
平成19年(2007)5月 第三病院森田療法センター開設
平成24年(2012)1月 葛飾医療センター(旧 青戸病院)開設