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慈恵大学病院だより すこやかインフォメーション 〜大切なご家族のために〜

掲載記事 : No.1 July 2004

院長からごあいさつ
特集
 慈恵大学病院のご案内
病院の理念・基本方針
シリーズ企画 122年の歴史 創設者 高木兼寛

病院の理念・基本方針

東京慈恵会医科大学 建学の精神
「病気を診ずして病人を診よ」
 私達は病気の治療のみではなく、病者の不安や悩みなどを取り除き、つねに患者様のための真の医療を考えております。
  また、病者の痛みに共感することができる「医の心」を持つ医師と「看護の心」を持つ看護士の養成をめざしております。
病院の理念
・患者さまの立場に立った医療の実践
・最高かつ最善の医療の提供
・良き医療人の育成
病院の基本方針
患者さま本位の医療を実践します。
安全かつ質の高い医療を提供します。
心ある医療従事者を育成します。
病院内外の医療従事者のために広く教育・研修の場を提供します。
先進的な臨床医学研究を推進します。
他医療機関と連携し、地域にねざした総合的医療サービスを展開し、より一層の社会貢献を行います。

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シリーズ企画 122年の歴史
1世紀を超えて、常に患者様中心の先進医療を模索し続けた医学・医療を追求するものの「心の道のり」がここにある

学祖・高木兼寛(1849〜1920)は英国セント・トーマス病院医学校に留学した際に、人道主義に基づく英国医学に深い感銘を受けます。帰国後、病に悩む人を中心に考える学風の医学校、病院、看護学校を次々に創設しました。時代を経て、医学校は東京慈恵会医科大学に、看護学校は慈恵看護専門学校に改称されていきます。東京慈恵会医科大学はわが国初の私立医科大学で、看護師養成機関としてももっとも長い歴史があり、建学以来120年を経て、現在へと至ります。また、高木は「ビタミン研究の開拓者」として日本国内はもとより欧米においても高い評価を受けており、昭和34年(1959)年には英国の南極地名委員会によって南極大陸に「高木岬」という地名がつけられました。その説明には「日本帝国海軍の軍医総監・高木兼寛男爵は1882年、食事の改善によって脚気の予防に始めて成功した」と述べられています。