明治維新により国民に士農工商の身分制度が廃止され四民平等となり、職業選択の自由が得られるようになりました。しかしそれは、自由競争という近代化のために社会的保全の枠が崩れ、生活不安が増大、生活保全のためのシステム構築の必要性に繋がりました。
この時代背景から、生命保険会社の設立を考えたのが、海軍で主計(会計)を務めて来た加唐為重(かから ためしげ)氏です。英国の生命保険について熟知していた加唐氏は明治19年、海軍辞職を機に会社設立に向け奔走しましたが、生命保険会社経営に取り合う者は皆無でした。
加唐氏は資生堂薬局(海軍病院の薬局)の創業者・福原有信氏に相談のうえ、慈恵大学の学祖・高木兼寛に協力を要請、生命保険の社会的必要性を認識していた高木は全面的な支援を約束しました。
明治20年には生命保険会社の創立準備が始められ、東京府知事による会社設立の許可が下りました。
このように高木は帝国生命(現 朝日生命)の設立に社会事業家としても偉大な足跡を残しています。
(北 嘉昭)
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