看護師による婦人向け「看病書」のルーツ
「看病の心得」は「婦人の家庭教育においても必ず修めおくべき事」として明治29年5月に看護師が書き、出版された「一般の婦人に向けての看病書」です。当時の書評に「医師を迎ふるに幾多の時間を要する場合などには此書其急に応ずべし。暑気に向ひ何処にも病人の多き時なれば大方の諸姉一本を購ふて座右に置かば最も可也.・・」と評されていました。
著者平野鐙は東京慈恵医院看護婦教育所(現慈恵看護専門学校)七回生(明治24年卒)です。平野が学んだ看護婦教育所は明治18年に日本で最初に創設された看護婦教育機関です。開設当初より学祖高木兼寛のイギリス留学の影響をうけフローレンス・ナイチンゲールの看護婦教育を導入していました。「看病の心得」の内容はナイチンゲールのNotes on Nursing「看護覚え書」と類似が多くみられます。「日本の風土」と「日本人の国民性」と「看護の心」を踏まえた現代にも通じる名著です。
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