対談 教授 x 学生 第21回

第21回 日本にはない知見を求めてアメリカ行きを決意する

今回ご紹介するのは、小児科学講座の主任教授の大石公彦さんです。慈恵医大卒業後、渡米してニューヨークのマウントサイナイ医科大学で基礎研究に取り組み、その後20年以上にわたり小児科の臨床医・研究者としてキャリアを積み、2021年8月に帰国して教授に就任しました。

日本にはない知見を求めてアメリカ行きを決意する

佐々木

なぜ医師を志すようになったのでしょうか?

 

大石

 代々続く医師の家系で、父を尊敬していたのが大きな理由です。加えて、祖父が愛知の田舎で診療所を開業していて、毎年夏休みに患者さんを診察していた姿も見ていました。一緒に帰省していた父と祖父が、二人で顕微鏡を覗き込む姿を見て「格好いいな」と思った記憶も影響していると思います。
 父も私が医師になることを期待していたように思います。高校時代には、父が泌尿器科診療部長をしていた慈恵の葛飾医療センターの前身である、青戸病院の医局によく連れて行ってくれました。そういったこともあって、医師という仕事は他の職業よりも身近な存在だったといえます。小さい頃から野球が好きなので、たまにプロ野球選手になれたら良かったなと思うこともありますが。

佐々木

慈恵ではどんな学生だったのでしょうか?

 

大石

 学生時代はアイスホッケー部に所属し、自由な学生生活を送っていました。普通なら注意されるようなことでも、当時はあまり叱られることもなく、のびのびと過ごさせてもらいました。今思えば、誇りある医科大学として、もう少し厳しくしていただいて良かったのかもしれません。

 医学部の1、2年生の頃は大学で学ぶことの意義が理解できず、3年生になって医学の実習が始まっても自分の将来像を描けず、意欲を失っている時期もありました。ただ、その頃から既に、アメリカに行きたいという思いは持ち続けていました。

アメリカに行きたいと思ったきっかけは何でしょうか?

佐々木

先生は現在、渡米を目指す学生や若手医師の背中を押す活動や執筆もされていらっしゃいますが、先生がアメリカに行きたいと思ったきっかけは何なのでしょうか?

 

大石

 小さい頃に映画「スター・ウォーズ」を観て、アメリカには日本とは全く違う世界や文化があると感じました。宇宙開発など、最先端の科学技術に挑む姿にも憧れ、医学に関しても日本と違うものがあるに違いないと思ったのです。自分が理解できない英語という言葉で世界が動いていることに興味も持ちました。
 当時、慈恵医大からアメリカの医師を目指す人は少なく、決してメジャーな道ではありませんでしたが、私はずっと行きたいと思っていました。ただ、インターネットもない時代で情報が少なく、準備には苦労しました。

アメリカには日本とは違う世界や文化があると感じ、医学に関しても日本と違う点があるはずだと思ったのです。

佐々木

日本で臨床医・研究医として働くという選択肢は考えなかったのですか?

 

大石

 初めから海外で研究したいと考えていました。カナダでのアイスホッケーのサマーキャンプに参加した時、アメリカやカナダの若者たちが、練習ではだらだらと動くのに、試合形式になった瞬間に顔つきが変わり真剣にぶつかり合う姿を見て、日本との違いを強く感じたのです。
 研究も同じで、勝負の場では相手や状況に関わらず本気で取り組む必要があります。日本では遠慮する人も多いですが、海外の人たちはたとえ小さなことでも、勝負となると全力で挑んできます。最初は驚きましたが、そうしなければ通用しないのだと理解しました。
 ただ、英語が話せなければ何もできません。そこで、学生時代から「空き時間があれば海外に出よう」と決め、実際にオーストラリアでアルコール依存症の研究に携わっていた先輩の家に居候させてもらい、相手をしてもらったこともあります。とても楽しくて、今に残る糧になっています。

生化学の面白さに目覚める 

佐々木

研究者の道に進もうと思ったきっかけはありますか?

 

大石

 3年生の時、生化学の試験で40点しか取れず、初めて単位を落としました。教養中心だった1、2年生の頃から転じて、3年生になり西新橋キャンパスに通うようになって勉強が本格化しました。にも関わらず、やる気もない上に、それまで通りアイスホッケーを続けていたため、DNAや代謝マップが理解できず、ひどい点数を取ってしまいました。

 担当の先生に相談に行くと、本気で叱られました。「勉強に対する態度や姿勢を変えないと通用しない」と言われ、ハッとしました。それからは授業を一番前の席で聴き、自分のペースで真剣に取り組むようになりました。

佐々木

その後、生化学にのめり込むきっかけは?

 

大石

 あるアメリカのLehningerの生化学の教科書に出会ったことです。物語風に書かれたその内容を読み込むうちに、学問の意味が理解できるようになりました。

 生化学を真剣に学ぶと、臨床にも近づきます。薬理学や病理学の理解も深まり、基礎医学研究の意義も見えてきました。その頃、1学年上の解剖学の岡部先生たちと知り合い、研究の面白さに惹かれ、自分もやりたいと思うようになったんです。

佐々木

小児科の世界に進んだ経緯は?

 

大石

 

 6年生の頃、岡部先生のショウジョウバエの研究の見学に行き、自分も研究がしたいと思い、大学院に進学する方法を聞いてみました。当時、小児科にいらした衞藤先生に紹介してもらうと良いと言われ、お願いしたのですが、断られました。どうすれば良いかと尋ねたところ、小児科に入局するように言われたため、それに従ったのです。
 小児科医として臨床業務に明け暮れていた頃、まだやってもいない研究の抄録を自分の知らない間に衞藤先生が出して採択されてしまい、テキサスの学会に参加することになりました。英文の手紙を受け取ってその事実を知り、そこから実験などを始めて、米国での英語発表に挑戦しました。私の前任の教授の井田先生が“中ボス”的な存在として発表方法やスライド作成、聴衆への見せ方まで丁寧に教えてくれました。そのときの学びは今でも自分のプレゼンの基盤になっています。

臨床と研究の両立

佐々木

研究テーマはどう見つけるのですか?

 

大石

 私の目標は、臨床医でありながら研究者でもあるフィジシャンサイエンティストになることです。テーマは患者さんが抱える問題点をいかに解決すべきかと悩むところから得られることが多かったです。

 また、困っている患者さんの体の中で何が起こっているのかを、しっかり理解したいという気持ちがテーマにつながっていると思います。臨床と研究のバランスは難しいですが、自分がやりたいことを軸に、ありたい姿を思い描くことが大切だと考えています。

佐々木

アメリカでの研究生活には抵抗はなかったのですか?

 

大石

 全くありませんでした。いつか臨床に戻るつもりはありましたが、まずはアメリカの研究の現場を体験したかったのです。そして、それが自分にとっての日常だと考えていました。抵抗という意識は感じることはなかったです。

 研究テーマはビタミンB1の体内移行メカニズムでした。結果的に慈恵学祖の高木兼寛の研究を推し進めることになり、不思議な縁を感じています。

佐々木

小児科講座担当教授としての回診スタイルにアメリカでの経験は活きていますか?

 

大石

 アメリカの回診は自分がいかに担当の患者のことを把握しているかが試されていました。同時に、自己アピールや積極性が常に求められていました。また、覚えるだけでなく考えるプロセスも大切にしていました。患者さんや家族の前で、プレゼンも行われます。そのときの経験から、回診は儀式ではなく、医師としてどうあるべきかを教える場にしたいと考えています。スタッフの顔を見れば状況が把握でき、問題の早期解決につながります。その経験は、若手医師教育にも活きています。

帰国の理由と教育への想い

佐々木

なぜ日本に戻ろうと思ったのですか?

 

大石

 帰国前、夢で日本にいる自分の姿を見て焦ることがありました。「自分がアメリカでやるべきことはまだ終わっていない」と感じたのです。しかし、ある時からその夢を見なくなり、今が帰るときだと考えるようになりました。元気なうちに、若い人たちをサポートすべき時期が来たとも思いました。

 

佐々木

戻って良かったことはありますか?

 

大石

 戻って良かったことは、若い人たちと一緒に研究や教育に取り組み、自分の経験を伝えられることです。教授という立場は名誉のように映るかもしれませんが、私にとっては責任です。彼らが成長し、世界に目を向ける手助けができることが、戻ってきて本当に良かったと思える瞬間です。

佐々木

研究者を志す学生に伝えたいことは?

 

大石

 基礎研究でも臨床でも、頑張る人を支えることが教育のポイントです。夢を持ち、決して諦めないことが大切です。諦めなければ道は開け、同じ思いを持つ人たちと出会えます。泥臭くても前を向いて進んでほしいと思います。

対談者プロフィール

小児科学講座 教授
大石 公彦 (おおいし きみひこ)

本学卒業後、米国ニューヨークのマウントサイナイ病院にて23年間にわたり小児科医・臨床遺伝科医として臨床・研究・教育に従事。米国小児科専門医・臨床遺伝専門医を取得し、現在も国際的な研究活動やLCRD(Lancet 希少疾患研究ネットワーク)の活動にも参画している。帰国後は小児科学講座担当教授として診療・教育に携わるとともに、国際交流センター長として海外医療機関との連携や学生の国際交換留学を推進している。自らの経験を通じて、これからの時代を担う学生の夢や挑戦を全力でサポートしている。

医学科5年生
佐々木 優子 (ささき ゆうこ)

桜蔭高等学校卒業。国際保健や小児アドボカシーに関心を持つ。障がいを持つ患者への支援情報提供についての症例報告を発表した他、予防接種制度に関する研究にも取り組む。小児科での臨床実習では、大石教授に刺激を受け、留学と研究への憧れを強めた。競技スキー部、学生会、カリキュラム委員、広報委員等多岐に渡る活動を行いながら、空手、テニス、文芸活動、厚労省インターンといった課外活動にも精力的に挑戦し、忙しい毎日を送っている。

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